人の楽しさを否定しないぞ

今日はSNSを見ていてモヤっとしたので、お気持ち表明みたいなことをします笑
決して特定の個人を否定したり攻撃したりしたいわけではなく、心の中で「自分はこうだからいいんだ」という気持ちの整理をすることがこの記事の目的なので悪しからず。
モヤっとした経緯はこちら↓
1. Aさんが楽しいと思うことをしていた
2. Bさんはそれが楽しいことだと思えず、Aさんが「他者からよく思われたいから」それをしているんだと推測していた。
これだけ笑
乱暴な言い方をすれば「Aさんが楽しいって言ってんだから、お前がとやかくいう話じゃねーだろ。何様のつもりじゃ。引っ込んでろ。」で終わるんですが、もう少し分解して整理していきます笑
人の楽しさ
まず、自分は人の楽しさなんてものは千差万別だと思っています。世の中には自分が理解できない楽しさがそこらじゅうに転がっています。
そして、それぞれが感じている楽しさはどれも間違いではなく、他人から否定される筋合いなんてどこにもありません。
その人がどんな価値観を持っているか、どんな感情を抱くかなんてことに正しいも間違っているもありません。事実としてそうなんだというだけです。
確かに人を不快にすることや、実害をもたらす楽しさであれば否定したくなるのも理解できますが、Aさんの楽しさは決してそういったものではありません。
きっとAさんはその楽しさに追求することに喜びを感じてますし、楽しさを追求する先にもっと大きな楽しさがあると思っています。
もし他人の楽しさが自分には理解できないものだとしても、その価値観を否定するなんてことは傲慢の極みだと思います。
ただし、この傲慢というのも一般的に悪いことだと言いたいわけではなく、謙虚になれと言いたいわけでもありません。単純に「自分はこうなりたくない」って話です。
人からよく思われたいから
自分はアドラー心理学が好きなので、「他者からよく思われたいから」というのがもし本当なのだとしたら、否定したくなる気持ちはわかります。
他者からの評価を重視しすぎると自分の自由を失う、それは間違いありません。多人の価値観を重視するあまり、自分の楽しさを蔑ろにするなんてことは避けるべきだと思います。
しかし、Aさんが他者からの評価よりも楽しさを追求しており、次第に価値のあるものが生み出されていくようになっていくならどうでしょうか?
最初は「私」の楽しさだったものがいつの間にか「私たち」の楽しさに変わっていく。とっても素敵なことだと思いませんか?
この世の中は価値があれば必ず評価されるわけではありませんが、評価されているものには必ず何かしらの価値があります。
Aさんが誰かに価値のあるものを与えることができれば、大なり小なり誰かから感謝されるようになり、さらに楽しさを追求するサイクルが生まれていくのです。
自分はこの素敵なサイクルを不健全だ、不自由だとは全く思いません。というか、むしろ自分をそのサイクルに入れてくれ笑
気持ちの整理が大体できたので、最後に好きなBUMPの歌詞の一部を引用して終わります。
——
好きになれないものを見つけたら
わざわざ嫌わなくていい
そんなもののために時間割かず
そっと離れればいい
大人なら触らずに
いたずらに傷つけずに
だけど自分が無いから
誰かが気になっちゃって仕方ない
BUMP OF CHICKEN「good friends」より
——
BさんはAさんを嫌っている時間をもっと別のことに使った方が健全だと思うし、これを書いてる本人もまだまだ自分が無いから誰かが気になっちゃってるって話でした笑
おしまい