漫画「メダリスト」は風景を置き去りにする

漫画が「メダリスト」がとにかく凄まじい。
おそらく連載当初から数えきれないほど言われてると思うが、それでも敢えて言わせてもらおう。漫画「メダリスト」が凄まじい。
今年の冬にアニメ1期が放送され、2日連続で見た第1話に2日連続で泣かされたのは記憶に新しいが、今回初めてアニメの原作となった漫画を読んだ。
アニメももちろん素晴らしい完成度だったが、その原作は想像を遥かに超えていた。
今日読んだ3巻までの内容はほとんどが既にアニメ化されている範囲だったが、それでも原作を買って良かったと心の底から思えた。そう思わされた理由を書いていく。
置き去りにされる風景
これが漫画「メダリスト」の最強の武器だと思う。アニメを先に見たせいか、漫画を読み始めた当初は風景があまり描かれていない作風なのが意外だった。
自分は氷菓や3月のライオン、ゆるキャン△など、アニメのモデル地を聖地巡礼するのが好きだ。そのため、最初にアニメを見た時にはモデル地として登場した名古屋や京都にも行ってみたいなあ…と思わされたのだ。
一方、漫画ではアニメほどスケートリンクをはじめとするモデル地にスポットライトが当たらない。風景を丁寧に描いていたアニメだっただけに、そこが衝撃的だった。漫画だけを読んでいたらそれほどモデル地には興味を惹かれなかったと思う。
しかし、読み進めると風景が描かれない理由がなんとなくわかってきた。作中で風景がなくなるとき、それは風景がフィギュアスケートに置き去りにされているのだ。
それぞれのキャラクターがフィギュアスケートに本気で向き合っているとき、視界に入る風景はノイズでしかない。
そう言わんとばかりにキャラクターの後ろにあって当然のものが描かれていなかったりする。だが、この敢えて描かれていないのが物語やキャラクターの心情をより一層際立たせているのだと感じた。
千手観音の如き表現手法
もうひとつ印象的だったのは千手観音の手のような多種多様な表現手法による全方位からの緩急攻撃だ。
元々アニメで見ていたときもキャラクターの表情の豊かさや物語の展開の緩急の付け方には魅力を感じていたが、漫画はアニメの5倍は凄い。
まず、オノマトペの数が多い。全てのコマに1つはあるんじゃないかと思わせるくらいたくさん散りばめられている。
それだけ多用されると鬱陶しく感じてもおかしくないのだが、これがまた不思議なことに全くくどくないのだ。そのおかげで、音声がない漫画という媒体でも、キャラクターの心情やその場の雰囲気がストレートに伝わってきた。
他にも、風を切るエフェクトやセリフのフォントなども細かく使い分けがされており、物語の緩急が際立っているように感じられる。こういうものを「神は細部に宿る」と表現するのだと思う。
コマ割りや描き込みの量など、凄いと思わされたものはこの他にもたくさんある。しかし、それらは残念ながらあまり上手く言語化できる気がしないので、今回はこのあたりで勘弁してほしい。
とにかく、漫画「メダリスト」は80km/hのチェンジアップと165km/hのストレートを平気で使い分けてくるピッチャーのような漫画だ。
しかも投球フォームは毎回変えてくるし、球種も10個はある。なんなら右投げと左投げもその都度変えてくると言ってもいいだろう。それこそ1000本の腕を持つ千手観音みたいなピッチャーとバッテリーを組むキャッチャーの気持ちになれる。
何を言ってるのか自分でもわからなくなってくるが、とにかく凄いのだ。
ひとまず3巻まで一気に読んだが、最新刊まで一刻も早く読みたいとしか思えなかった。しかし、このピッチャーを相手にするのにはさすがに疲れる。
じっくり噛み締めながら残りの投球回も付き合おうと思う。最新刊まであと10巻もあると思うと楽しみな反面、少し怖い。何せここからはまだ知らないストーリーやキャラクターが待っているのだから…
P.S
最近、ネットの記事で「岡崎いるか」なるキャラクターが人気投票で1位になったと聞いた。「主役のあの2人を退けるなんてどんな魅力的なキャラなんだ…」と恐ろしくて夜しか眠れないが、おそらく自分も虜にされるのだろう(観念)